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知っているようで知らないスーパースターとRUN-D.M.C.の関係

コラム
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adidasのスーパースターの歴史を見ていくと、

必ずと言っていいほど「RUN-D.M.C」の名前が出てきますよね?

実際には両者はどんな関係だったのでしょうか?

彼らがスーパースターを世界的なスニーカーに引き上げたのは間違いありませんが、

その始まりがRUN-D.M.C.だったわけではありません。

ニューヨークのアンダーグラウンドシーンですでに流行していたスタイルを

世界的に知らしめたのがRUN-D.M.C.です。

知っているようで実はあまり知らない両者の関係を見てみましょう。

最後まで読んでいただければ、スーパースターはさらに魅力的なものに見えてきますよ!

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RUN-D.M.C.って?

2MC+1DJスタイルのHIPHOPアーティスト。

  • MC ジョゼフ”RUN”シモンズ
  • MC ダリル”D.M.C.”マクダニエルズ
  • DJ ジャム・マスター・ジェイ

2002年にDJのジャム・マスター・ジェイは射殺され永眠。

他のMC2人は2021年現在元気に活動中です。

出身は?

出身は全員がアメリカのニューヨーク出身。

近いながらも全員バラバラのエリアで生まれています。

  • ジョゼフ”RUN”シモンズ→クイーンズ
  • ダリル”D.M.C.”マクダニエルズ→ハーレム
  • ジャム・マスター・ジェイ→ブルックリン

物心ついたころには3人ともクイーンズで生活していたようです。

1970年代~80年代のニューヨークとは。電車は落書きだらけ。控えめに言うと治安のめちゃくちゃ悪い場所です。

代表曲は?

1曲に絞ることは不可能ですが、

おそらく日本で耳にする頻度が最も高いのは、

エアロスミスとのコラボ曲

「walk this way」

恥ずかしながらこの記事を書くまで知らなかったのですが、この曲は「サンプリング」ではなく、しっかりとレコーディングして作成したそうです。このMVの通り、本当の意味でロックとHIPHOPの壁をぶち壊した歴史的な1曲。

「RUN-D.M.C.」何がそんなにすごいの?

HIP HOPアーティストとして初めてゴールドディスクを獲得したのが彼らです。

そしてもう一つ。

今ではよく見られるアーティストとスポーツブランドとの契約。

実はアスリート以外で初めてスポーツブランドと契約を結んだのも「RUN-D.M.C」。

彼らのライブ中、観客がアディダスのシューズを頭上に掲げ熱狂。

その曲名が「My adidas」

その様を見たアディダスの幹部が彼らとの契約を決めました。

スーパースターとRUN D.M.C。どんな関係?

adidasのスーパースターと言えば「RUN-D.M.C」が思い出されますが、

一体どういった経緯でそのような「アイコン」になったのかを見ていきます。

「adidas スーパースター」流行のきっかけはバスケットプレイヤー

なんとなく思い込みで最初にRUN-D.M.C.がスーパースターを履き始めた人たち。

かのように思いがちですが、それは違います。

彼らがデビューした1982年。

すでにスーパースターは一部の人間に熱狂的に支持されていました。

そのきっかけが1970年代~80年代にかけて活躍した

アフリカ系アメリカ人のバスケットボールプレイヤー

「カリーム・アブドゥル=ジャバー」

人種的マイノリティだった彼はバスケットプレイヤーとして成功を収めました。

そんな彼が愛したスニーカーこそが

「アディダス スーパースター」

それを誇りに思った同胞のアフリカ系アメリカ人、

そして他のマイノリティ(プエルトリカン等)が

彼の履いていたスーパースターを街中で履き始めたのです。

アスリートのためのスーパースターが、ストリートへ派生したきっかけは、

一人のバスケットボールプレイヤーでした。

その流れはストリートへ

バスケットコートから街中へおどり出たスーパースターは

そのグリップ力とタフさから

当時の街のアスリート、「B-BOY」(ブレイクダンサー)

の足元を飾るようになります。

1980年代のHIPHOP黎明期のニューヨークを伝えた

写真集「BACK IN THE DAYS」 By JAMEL SHABAZZ

を見ると登場する人物の足元は

  • アディダス スーパースター
  • PUMA スエード
  • クラークス?  ワラビー

が大変を占めています。

カッコいいんですよ。本当に。

RUN-D.M.C.がステージ衣装の常識を変えた

実はこういった経緯でRUN-D.M.C.のデビュー前から

すでに街角では局地的に流行していたスーパースター。

それなのになぜ彼らがスーパースターのアイコンとなったのか。

その理由が「普段着のままステージに上がった」ことにあります。

彼ら以前のラップアーティストのステージ衣装は、

  • 毛皮
  • デコレーションされたレザージャケット
  • ブーツ
  • レザーシューズ

等を着用した、ディスコスター風な雰囲気でした。

そのスタイルを一変させたのがRUN-D.M.C.。

スニーカーにデニムにシンプルなジャケット。

街中からそのままステージに上がったかのようなスタイル。

このスタイルが聴衆の支持を得ます。

そしてそのスニーカーこそがストリートですでに支持されていた

「スーパースター」でした。

そしてRUN-D.M.C.以降、このHIPHOPアーティストのスタイルは、

サイズの大小はあれど基本的には変わっていません。

以降のスタイルの基礎を作り上げたのが彼らです。

ニューヨークのリアルなスタイルを世界的に派生させた。

ニューヨークの街角で流行していたスタイルをそのままステージに上がったRUN-D.M.C.

ゴールドディスクを獲得したアルバム「RUN DMC」は

アンダーグラウンドだったスタイルを一躍メジャーの世界に引っ張り上げました。

その中で、彼らが履いていた「紐なしのスーパースター」はRUN-D.M.C.の象徴となります。

すでに裏原界隈で流行していたBAPEをキムタクが一気にブレイクさせた感じ・・・ちょっと違うか。

これにより「スーパースター = RUN-D.M.C.」の図式が、

世界的に認知されることとなったのです。

まとめ

RUN-D.M.C.がスーパースターとともに世界的なムーブメントを作ったことは間違いありません。

ただ、見逃せないのは

  • すでにスーパースターの局地的な流行は発生していた。
  • それを世界に発信したのがRUN-D.M.C.。

といった点でしょう。

さらにこのスーパースターのストリートでの流れは

90年代以降、マーク ゴンザレスを筆頭としたスケーターにも受け継がれ、

その地位を絶対的なものとします。

知れば知るほど文化的な側面の強いadidas superstar。

1足は持っておきたい逸品です。

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